道産子移民の第二次大戦中の日記発見

私たちが情報を発信しているこのブログもいつか貴重な資料となる日が来るのでしょうか?大手新聞社などのサイトの記事は、古い物は閲覧できなくなるようです。最初の内は、これを気にせず記事を部分引用してましたが、今は極力全文引用するようになりました。別に良いですよねぇ。

道産子移民 戦時下の日記 ポートランドで発見 恐怖、悲嘆切々と -北海道新聞
12/07 11:06
 【ポートランド6日枝川敏実】桧山管内江差町で生まれ、一九一一年(明治四十四年)に米国オレゴン州ポートランドに移住した女性の日記が、地元の日系団体によって保存されていることが、分かった。四一年(昭和十六年)の日米開戦を機に、米国内で日系人への敵意が強まる中、行く末を案じる心情が切々とつづられている。新天地を求め、海を渡った道産子の移民史の一端を示す資料と言えそうだ。






 日記を残したのは、一八九二年(明治二十五年)、江差町の漁家に生まれた塩木(しおぎ)千代さん。一九九九年、ポートランドで百七歳の長寿を全うした。当地在住の長女ルリさん(93)によると、千代さんは明治のニシン漁の衰退を受け、親と札幌に移った。その後、東京で英語を学び、十九歳で渡米。日系一世と結婚し、ポートランドで子供二人を育てながら、雑貨店を営んでいた。

 日記は、日本軍がハワイ・真珠湾の米海軍基地を攻撃した四一年十二月七日(日本時間八日)から、塩木さんがアイダホ州の強制収容所に送られる直前の翌年二月二十五日まで記されている。

 当局の家宅捜索を受けた日は、「夢、夢、おそろしい夢の中の自分となってしまった。(中略)三人の大男 FBI(連邦捜査局)より来り」。病弱の夫が強制収容所に送られる日には、「泣くまいと思っても、目が覚めると、涙がある」と、悲嘆がつづられている。

 第二次大戦中、全米で強制収容所に送られた日系人は約十二万人。ほとんどは関東以西の出身で、全米日系人博物館(ロサンゼルス)の担当者は「北海道出身者が当時を書き留めた記録を見たことはない」としている。日記は塩木さんの死後、日系人の支援活動を行う市民団体「オレゴン日系レガシーセンター」に寄贈されていた。
スポンサーサイト

テーマ : 話題
ジャンル : ニュース

Comment

Secre

注目!

ちょっとクリック

リンク

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

閲覧人数

FC2カウンター

カテゴリ

ランキング情報

クリックしてみて!

プロフィール

dellspell

Author:dellspell
info_dripへようこそ
情報をドリップするという意味で命名したサイト名です。見落としそうなニュースと少々のPC情報を織り交ぜお届けしたいと思います。
リンクは、フリーです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード

いろいろなこと

TwitterCounter for @taketake0 twitter / taketake0